本サイトでは、患者とのコミュニケーションにスポットを当てている。
コミュニケーションの基礎となるのが、言葉の使い方だ。
そこで今回は、言葉にフォーカスし、日本語について感じたことを語っていきたいと思う。
日本語は世界的にみても、難しい言語の部類に入るといわれている。
難しさの理由の一つとして、同じ意味の言葉が複数ありながら、それぞれ微妙にニュアンス異なる点が挙げられる。
例えば、「看護」に対して似通った言葉に「看病」がある。
どちらも「疾病人の世話をする」という意味だ。
ただ、「看病」は、ただ疾病人の世話をするという意味だけで、「看護」には手当を施す行為も含まれている。
つまり「看病」は従属的で、「看護」が支配的ともいえそうだ。
また、「勉強」に対して似通った言葉に「学習」という言葉がある。
いずれも「学ぶ」という意味がある。
ところが「勉強」には、努力して学ぶという前向きのニュアンスが強く入っているが、「学習」は読んで字のごとく、学問を身につけるような意味合いが強い。
つまり「勉強」が能動的に対して、「学習」は受動的の意味合いが強い。
あくまでも、これは私の単なる個人的解釈ではあるが、こうした使い方のニュアンスが異なるのは、外国人からすると難解になるのは予想できある。
また、言葉を使う人やシーンによっても意味合いは変わってくる。
商売人が「勉強します」といえば、学習しますという意味ではない。
それは「値引きします!」という意味になる。
また、大人が「学習した」としみじみ発した場合、「新しい教科を学習した」ワケではない。
ある経験を通して、新たな習慣が確立されたとき「学習した」と使われる。
かくの如く、本当に日本語は難しい言語だと感じた。